アポリカ!通信 2024年4月:『Speak Your own Language』

 受験期と新規開校で3ヶ月ほどまともに休日が取れなかったのと、子どもの中学受験が終わったこともあり、家族で海外に行ってきた。どこの国に行こうかあれこれ考えたが、子どもにとっては初の海外旅行という理由で、飛行時間の短さと、旅先での幸福度などの点から、世界一近くて親日の国(『国』か『地域』かの議論はさておき)、台湾を選んだ。

 台湾愛に満ちたH家のご厚意を賜り、台湾についてのレクチャーを1コマ受講した。外食文化が根付いた台湾では「とにかく食べて!」と毎日三食分の食堂&レストランリストを授かった。台湾についての本も三冊ほど読み、歴史や文化についてある程度学んで、(久し振りに)日本国旅券を携えて出発した。目的地は、台北→高雄・台南→台北だ。

 松山空港、コンビニ、宿泊先(H家の教え通り、最終日以外は民泊)、、行く先々で英語を使ってみたが、ほとんど通じない。自分が知っている台湾華語は、簡単な挨拶や数字くらいしかない。日本国内にいる限り、言葉が通じないことはほとんどないし、四方を海に囲まれた島国では国境を意識することもない(知床半島や石垣島辺りは別かもしれない)。久しぶりに実際に海外に出て、外国人になって、フィジカルに『異国』を認識できて良かった。

 現地の人と話す時に、(H家のアドバイス通り)自分たちが日本人だと伝えると、日本語を少し交えて話してくれたり、身振りや表情などでコミュニケーションを取ってくれる。台湾には親日家が多いとは聞いていたが、根っからの優しさが日本効果でさらに増す。

 せっかく台湾にいるのだから、ネットを利用するのもそこそこにして、現地の方々と出来るだけ多く交流した。台湾には、10人に話し掛けると一人くらいは英語で話せる人がいた。お互い言葉が通じないと判ると、Google翻訳などの翻訳ツールを使えば困ることはない。タクシーを利用すると、運転手も慣れた様子で、スマホに自分の声を吹き込んでやり取りすることもあったが、便利さに興奮するのは最初だけで、やはりただの『情報交換』という感じは否めない。その一方で、英語で話す時は、ただの情報とは違う『情緒』を交わしているというか、心と心で話しているという感覚もあるし、会話という行為そのものを楽しめた。台湾人にとっても英語を身に付けるのは大変だろうから、お互いが英語を身に付けたことに対して敬意を払うこともある。ただの情報の伝達が目的であれば翻訳機でも十分だが、好意や敬意を伴う心の交流は、自分の肉声で伝え合う方がはるかに良いと思う。

 心の、と言えば、こんなことがあった。

 高雄(南西部にある台湾第二の都市)での初日。たまたまやっていた台湾最大の音楽フェス(満島ひかりなど、日本のアーティストも何組も出ていた)に行って、暑い中さんざん歩き回ったのもあってか、妻が体調を崩してしまった。日曜日の夜ということもあってか?、お店の閉まるのが想定よりも早く、午後になってまともな食事を取れないうちに、宿に帰ることになってしまった。空腹と疲労で弱っていたところ、近所に食堂を発見。店主のご主人に話し掛けてみると、ありがたいことに英語が話せる方だった。妻の病状などについて少し英語で説明すると、大きな声で「OK!」と応えて、滋養にも良さそうなお粥や野菜炒め、海鮮スープ等を作ってくれた。うまい…。天国か?

 「Delicious! You are No.1!」と窓の向こうの店主夫婦に伝えると、嬉しそうに笑顔で応えてくれた。料理を一口ずつ味わいながら、家族と台湾人の優しさや文化の素晴らしさについて日本語で話していた。しばらくして、隣に座っていた男女のカップルが席を立って、窓の向こうの店主と会計をしながらこちらに微笑んでいるのに気が付いた。この辺じゃ、日本人が珍しいのかな?などと思うくらいで、さほど気には留めなかった。ようやく腹も膨れて、最後に会計に向かうと、店主が英語でこう言った。「いま出ていった若い二人、いたろ? 以前に日本に何年か住んでいたことがあるんだよ。いまも日本に感謝しているから、あなた達日本人に食事を奢りたいんだ、と支払いを済ませてくれたよ」…。疲労と空腹が重なって、家族全員が重苦しい気分の時に、この言葉を聞いた瞬間、目頭がジワーッと熱くなった。台湾は、食事も人も、なんて温かいんだろう。

 その二日後、帰る前にもう一度挨拶に行こうと店に寄ってみたが、開いていなかった。私はGoogle翻訳で感謝のメッセージを台湾華語に訳して、目立つピンクの付箋に肉筆で書いて、軒下の調理場に貼り付けた。一応、自分のメアドも書き添えて。

 すると帰国後、なんと店主の娘さんから英語でメールが届いた。お店でピンクの付箋を手に持った店主の画像が添付されていた。最後に会えなくてごめんね、でも台湾でよい思い出がたくさんできて良かった、また食べにきてね、、といった内容だった。肉筆ではなくゴシック体の文章なのに、何にこれ程心を打たれるのかと考えてみたら、それは娘さんの文章に滲む人間らしさだった。英語がそれほど得意ではないのに、翻訳ツールを使わずに、頑張って紡いだ文章だと判るから、なおさら尊いのだろう。

 店主との英語でのやり取りが翻訳ツールの機械的な音声の英語だったら、あんなに目頭が熱くなっただろうか。娘さんのメールの文章が翻訳ツールで訳されたツルツルの英語で書かれていたら、自分はあんなに何度も読み返しただろうか。

 どんな時代になっても、『自分の言葉で』肉声や肉筆で伝えることの価値も忘れないでいたい。日本語でも、英語でも。