アポロンからユウリカへ。どんな化学反応式が生じていたのかは分からないが、すでにこの時、Mのドラマは大きく展開し始めていた。
面談の前に、留学カウンセラーのW氏には、Mの近況を伝えていた。内部進学の為の学部選択直前まできて、学びたいことがかなり明確になっている、と。これも今思えば、時宜を得ていたのかも知れない。Mの関心に合わせながら、W氏の専門がイギリス留学ということもあり、『開発学』という分野で有名なイギリスの大学が紹介された。このイギリス発祥の学問分野は、日本ではあまり聞き慣れないかも知れないが、世界の貧困や格差について調査し、様々な関連知識と技術を駆使して学際的に解決する、現代の正統な学問だ。政治学、経済学、社会学、工学、文化人類学、農学など、それぞれの学問分野から知識と技術を組み合わせることで、現実的な社会問題を解決するという目的を持っている。崇高な目的もさることながら、これを果たすには高い知性と行動力、広い視野と見識が必要だろう。
Mには将来の夢を聞かせてもらった。社会に出たら、こんな企業で、こんなことがしたい、というデッサンのような、おぼろ気な将来像だ。しかし夢だけに、漠然としているというか、夢想的というか、若さ故のナイーブさも感じた。
しかし、W氏と会うことで、Mの人生の軌道が変わった。さらに面談が終わってしばらく経つと、Mは薦められたイギリスではなく、オーストラリアに行こうと考え始めた、と明かしてくれた。短期留学の経験の影響もあったのかも知れない。紹介されたイギリスの某大学について調べているうちに、カリキュラムの中での『歴史』の比重が大きいため、自分が本当に学びたいことと乖離していることも大きな要因だったようだ。そう、軌道修正は常に自分でするものだ。さらにストーリーの展開は続く。
その後、オーストラリアの留学に明るいカウンセリング企業を紹介した(※念のため…当校に対する金銭的な見返りはない)。担当者に話を聞くと、当初、オーストラリアの『名門校』という希望はご家庭にはなかったのだが、どうやらMは内申点の基準を十二分に満たしているので、残る要件は『IELTS(アイエルツ)』という民間の英語資格だけだと判った。余談だが、英検は海外の名門大学では資格として認定されていないので利用できない。
IELTSは合否もスコアもなく、『バンド』で評価される。0.5毎のバンド幅で、最高レベルが『9.0』だ。いわゆる『過去問』はなく、公式問題集は売っているが解説がない。英検であれば小さい頃から受けた経験がある学生は多いが、IELTSには簡易版も級制度もない。また一回の受検に掛かる費用を考えると、英検程受けやすくはない。
対策授業を始めたばかりの昨秋は、学校の定期テストや行事などでIELTSに集中できず、当然ながら学習計画にも影響を及ぼした。定期テスト前の一定期間はものすごい集中力を発揮して勉強に打ち込み(ママ談)、結果を出してくれるのだが、それ以外のテスト、例えば英検等に対しては精神的なブレーキが掛かってしまうのか、学習計画が捗らない…。
それでもアップダウンを繰り返す意欲を少しでも高めようと、私なりにあれこれ工夫してきた。4技能のバランスを考えながら、その時々の課題を明確にして、対策を重ねた。受検する度に、リーディングが上がればスピーキングが下がる、などの不揃いの変動カーブを描きながらも長期的には緩やかに上昇し、とうとう、ようやく、6月に目標バンドを達成した(🎊)。これで、晴れてオーストラリアの名門大学への入学資格を得られたわけだ。
その後は、悠々自適の生活を送っているM。これからは、英語で学びたいことを学ぶことで英語力を高める、という最も『楽』な学習フェイズに入る。私自身も、好きで足を踏み入れた分野で、学術誌、自伝、小説、雑誌など、さまざまな『本』とフィジカルに向き合うことで英語力、特に語彙力が伸びた。この頃の蓄積は、間違いなく今の糧になっている。
先日、Mと面談をして、次はテストの為ではなく、開発学の基礎となるような洋書を読んでみようと決めた。Mは、まずは中央図書館の洋書コーナーで、適度な英語レベルで、興味が湧くような内容の本を読んでみたいと言っていたが、探しているうちに、心理学の本を見つけて興味が湧いてきたらしい。興味が広がる、というのは、バーチャルには無い、リアルの良いところだ(バーチャル書店は自分の好みに合わせてお勧めすることしかしないので、自分の世界が広がらず、どんどん偏っていく)。分野の垣根を越えた学際的な手法が開発学の特長でもあるのだから、尚更Mに向いているかも知れない。
さて、来週の授業で実際に選んだ本を持ってくる予定だが、一体どんな本を持ってくるのか…。Mの知の探求は、始まったばかりだ。そしてこのドラマは、リアルな『海外編』へと続く。M自身が好きで観ていた海外ドラマを、まさか現実に『主演』として体験できるなんて、ドラマを超えた『メタ・ドラマ』と言えないだろうか。