今月は、メンタリティ(※「メンタル」ではなく)と言語技術の関係について考えてみます。
メンタリティ(英語:mentality)を辞書で引くと、こんな意味が出てきます。
a person’s particular way of thinking about things
(物事に対する、その人特有の考え方)
言語にしろ、芸術にしろ、武道やスポーツにしろ、学び方には、この『物事に対する考え方』(英語で言う‘mentality’や‘mindset’)が大きく関係すると思います。
やればうまくなるのは間違いないのに、やらない。やらない理由を見つけるのがうまくなる。できないことばかりに焦点を当てる。何かを指摘されると、言い方が気に入らない、と他人のせいにする(もちろん、伝え方も大事ですが)。これは、全てメンタリティの影響だと思います。
あるスポーツ選手が、「メンタルに強い、弱いはない。ポジティブに考えられるかどうかだ」というようなことを言っていました。一理あり、だと思います。試合中は、ミスをしても気持ちを切り替えなくてはいけない。一方で、ミスをミスのまま見過ごしていい、ということでもない。どのようにポジティブに転化できるかが大切だ、と言いたかったのだと思います。
以前、「鈍感力」という言葉が流行った時にも、似たような違和感を覚えました。気付かないことと、気付こうとしないことは、全く違うことだと思うからです。身近な人の声に耳を傾け、受け止めることが、自分自身を知ることにもつながります。
最近、カール・グスタフ・ユングの心理学について考える機会がありました。ユングは スイスの精神科医・心理学者で、フロイトとともに精神分析運動に携わった後、理論上の違いから袂を分かち、自ら「分析心理学」を築きました。
ユング心理学には、「影(シャドウ)」という考え方があります。ごく大まかに言えば、自分自身が認めたくない、あるいは意識から遠ざけている自分の一面です。
人から言われて嫌だと思うこと。でも、自分でも心のどこかで分かっているのに認められないこと。 そこには、自分自身の「影」が潜んでいるのかもしれません。それを無理に排除するのではなく、自分の一部として認め、意識していく。そうすることで自分をより深く知り、より自分らしく生きられるようになる。自分らしさとは、新たに作り上げるというより、もともと自分の中にあるものを、少しずつ見つけ直していくことなのかもしれません。
これは、教育にも通じるところがあるように思います。
今、自分が立ち上げた塾では、集団指導と個別指導を提供しています。一口に集団指導と言っても、大手予備校のような数十人のクラスから、うちのような少人数制まで様々です。
私の感覚では、12人くらいまでなら、一人ひとりの生徒に寄り添える。生徒の表情を見ながら、教え方を修正する。授業中にコミュニケーションを取るのはもちろん、授業以外でも雑談ができる。そうして長く接しているうちに、 その生徒の人柄に、徐々にくっきりと輪郭が浮かび上がってきます。
うちが少人数制を採用しているのは、理念にある通り「生徒一人ひとりに公平に寄り添い、最適な授業・環境・学習方法を提供したい」からです。
生徒の理解度に合わせて指導する。それだけでなく、その生徒の性格や、その時々の心の状態にまで合わせて指導することができれば、英語力や学力をもっと伸ばせると思うのです。
お陰様で、小学生の頃から長く通ってくれているアポロン一期生が、まだ何人かいます。
先日、たまたま近くでランチをしようと駅の周辺を歩いていると、一期生の保護者とバッタリ再会しました。
直接お会いしたのは、おそらく5年ぶりくらい。お互い「あれ? もしかして?」と5秒くらい様子を見て、私から恐る恐る「○○さん…ですか?」と聞くと、「はい。お久しぶりです」と笑顔で答えてくれた。正解で良かった。
息子さんのA君は、板橋区内の私立中高一貫校から明治大学政治経済学部に進学しました。その後どうしているかと思っていたら、最近、大手商社への就職が決まったそうです。一期生として中学1年生の春に入塾したあの子も、今では大学4年生。時の流れを感じます。
彼も、最初は勉強が嫌いでした。それが英語を好きになり、得意になり、やがて英語でディスカッションもするようになりました。最初は議論どころか口喧嘩になってしまい☺、「かわいいなぁ」と微笑ましく思っていました。その後、海外にも目が向くようになり、高校1年生の時には学校の留学制度を利用して、カナダに留学しました。
高校2年生の頃に、次年度の履修について相談されました。学校からは世界史を取るよう強く勧められていたそうですが、彼は中学生の頃から数学が好きでした。本人とじっくり何度も話し合い、世界史は履修するものの受験には使わず、自分の得意分野を活かした数学受験へと舵を切り、何とか受験に間に合わせることができました。ご家庭と塾の信頼関係がないと、あの時の私の提案も、ご家庭の選択もなかったと思います。そしてあの時の選択が、今の就職での成功にもつながっているのだと思うと、感慨もひとしおです。
同じ一期生に、現在高校2年生のB君がいます。
小学生の頃は、音読発表がアポロンのクラスで一番上手でした。発音も上手で、音読が彼の自信の源だったように思います。
その後、中学2年生までアポロンで指導し、中学3年生から高校受験指導のためにユウリカへ移ってもらいました。高校受験を切り抜け、英検2級にも合格しました。
ところが高校生になってから、英語力が伸び悩むようになりました。語彙力がなかなか伸びない。以前に比べて、発音もカタカナに近くなっている。
本人に聞いてみると、「学校の先生の教え方が悪い」「学校の宿題が多い」「部活が忙しくなった」等々。とにかく学校がすべて悪い、かのようなことを主張します。
彼の言い分にも、一理あると思います。学校教育では、どうしても読解や文法、試験対策に多くの時間を割かざるを得ません。英語を「音」として発し、実際のコミュニケーションの中で使う機会は、どうしても少なくなります。知識がテストのためだけのものになれば、試験が終わると忘れ去られてしまう。『生きた知識』、つまり実践で使える知識にはなりにくい。英語という言語を、言語として実感できない。実感できなければ、身に付きにくい。英語が、テストの問題を解くためのただの『記号』になってしまいます。
ただ、それだけを原因にしてしまえば、自分自身が変えられる精神的なことまで見えなくなってしまいます。それもメンタリティの一部です。
先日のユウリカでの授業で、久しぶりにB君の発音、音読、語彙の増やし方、単語のイメージの仕方、実際の使い方まで、かなり細かく指導しました。すると、まだ瞬間的ではありますが、明らかに変化が見えました。
私の頭の中には、小学生の頃の「英語が得意だった彼」の残像が残っています。しかし、この残像は幻影であって、あの頃の英語力を取り戻せばいい、ということではないのだと考えなおしました。
今の彼には、今の彼なりの課題がある。そして、「学校が悪い」「忙しいからできない」という言葉の奥には、本人がまだ認めたくない自分自身の一面 ―ユングの言う「影」に通じるもの― があるのかもしれません。
そこを「言い訳だ」と責めるのではなく、まず受け止めてあげる。その上で、自分自身にも目を向けてもらう。無意識のうちに蓋をしているものを少しずつ意識し、自分の一部として認めていく。
そして、今の自分にできることを考えて、現実的な行動を取る。
振り返れば、私自身の生徒への接し方も、少しずつ変わってきたように思います。以前なら、できないことを見つけて、それをできるようにする「技術」の方に、もっと目を向けていたかもしれません。
今は、その生徒がこれまでどんな時間を過ごし、今どんな状況にいて、何を考え、何につまずいているのか。その時間軸まで含めて見ながら、「だから今、この指導が必要なのだ」と考えるようになりました。
言語技術を伸ばすためには、言語技術だけを見ていてはいけない。生徒が物事をどう捉えているのか。そのメンタリティにも向き合いながら、心と技の両面を磨いていく、ということが出来れば幸せです。
さて、B君はここから、どんな成長の軌跡を見せてくれるでしょうか。板橋花火大会のような、でっかい花火を打ち上げてくれるかな。
夏期講習は、まだ続きます。みなさん、お楽しみに🌻






